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ランボルギーニ創業のきっかけはフェラーリとの確執?

自動車雑誌やドキュメンタリーで語られているが、ランボルギーニがスーパーカーメーカーとして誕生した背景には、フェラーリとの因縁が大きく関わっている。
自動車メーカーとしてのランボルギーニの歴史は1960年代にはじまる。トラクターの製造事業で成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニはフェラーリを所有していたが、クラッチの耐久性などに改善の必要性を感じていた。そこでエンツォ・フェラーリに提案を示したが、「トラクター屋がスポーツカーに口を出すな」と一蹴されたといわれている。この発言に激怒したフェルッチオが、「ならば自分で理想のGTカーを作ってみせよう」と決意したとされる。エンブレムに描かれる闘牛には、“跳ね馬”に突進する意図も含まれていると語られることもある。ただし、このエピソードは少々脚色されたものだという説もある。
いずれにしても、フェルッチオはフェラーリを強く意識して「新しい高級スーパースポーツカー」製造に乗り出した。1963年にAutomobili Ferruccio Lamborghini S.p.A.を設立。ボローニャの北西にあるサンターガタ・ボロネーゼの町に近代的な大規模ファクトリーも建設した。ちなみに、フェラーリのあるモデナからは20km弱、クルマで30分かからない。
エンブレムの起源と象徴性

すでに紹介したフェラーリやポルシェ同様、ランボルギーニのエンブレムも盾(シールド)型を採用している。中世ヨーロッパの騎士たちが使った盾には家紋などが描かれ、家柄や名誉を象徴していた。そのモチーフが街の紋章などにも使用されるとともに、近代ヨーロッパでも高貴さや伝統、競争心を表した。
ランボルギーニといえば牛だ。フェルッチオがロゴのデザインをパオロ・ランバルディという地元のグラフィックデザイナーに依頼した際、「あなたの性格を教えてください」と尋ねられたという。フェルッチオは「雄牛のようにタフで強くて頑固だ!」と答え、彼がおうし座の生まれだったこともあって未去勢の雄牛である“BULL”が採り入れられた。
ランボルギーニのエンブレムに描かれている躍動感のある闘牛は、それ以来、ブランドの「強さと力」(strength and power)を象徴している。ちなみに、去勢された雄牛は英語で“OX”と呼び、BULLとは区別されている。
最初の量産車「350 GT」から“スーパーカー”初号機「ミウラ」へ



ランボルギーニは1963年11月に開催されたトリノ・モーターショーに自動車メーカーとして初参加。V12エンジンを縦置きに搭載したGTカーのプロトタイプ「350 GTV」を出展した。このモデルは翌年、ミラノのコーチビルダー「カロッツェリア トゥーリング」がモディファイしたボディに、ディチューンしたV12エンジンを搭載し「350 GT」として市販された。このクルマにつけられたエンブレムには、金色の闘牛と赤い帯に白抜きされた「LAMBORGHINI」の文字が描かれている。
ランボルギーニの名が世界中に知られることになるのは、1966年のジュネーブ・モーターショー。ジャンパオロ・ダラーラ率いるエンジニアリングチームが設計、カロッツェリア・ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニがデザインした2台目のランボルギーニ、「ミウラ」の登場がセンセーションを巻き起こした。このモデルからエンブレムが黒と金の2色づかいに変わり、背景も黒一色となった。
モデル名はフェルッチオの親しい友人で闘牛のブリーダーだったエドアルド・ミウラに由来する。これがきっかけとなり、ランボルギーニは伝統的にスペインの闘牛にちなんだ名称を付けることになる。4座のGT「エスパーダ」は闘牛士が持つ剣を意味し、ディアブロやムルシエラゴ、アヴェンタドール、ウラカンなどは有名な闘牛の名前を冠している。
エンブレムの進化とデザインの変遷


1998年にランボルギーニはアウディの100%子会社としてフォルクスワーゲングループの傘下に入る。この時にロゴなど各種のビジュアルアイテムにも微修正が施されたが、黒い盾に金の文字と闘牛という意匠は現在まで大きな変更は加えられていない。2024年には企業ロゴを変更し、フラットでモダンなフォントの導入などデジタル時代にふさわしいアップデートが行われた。しかし、クルマに付けられるエンブレムには大きな修正は見られず、創業直後から受け継がれているエネルギッシュな闘牛がフロントノーズに鎮座している。
スーパーカーの世界では、性能や価格だけでなく、哲学や背景も重要視される。ランボルギーニのエンブレムに描かれた闘牛は、その哲学の結晶と言えるだろう。創業者の信念、フェラーリとの因縁、そしてブランドとしての“挑む姿勢”すべてを体現している。
PHOTO/Automobili Lamborghini S.p.A.